Youtuberがいる。人気不人気関わらず。
テレビタレントではなく、すぐにでも誰にでもなれるメディア露出。
言ったもん勝ちやったもん勝ち、好きにやればいいさ。
他人を誹謗中傷するくらいなら顔出して発言している勇気を讃えたい。
やらないなら自分でやる時代。
私はおみやどとは別に、任意団体コミサイ(信州古民家再生プロジェクト)の共同代表をやっている。
共同代表は3人いる。仕事バラバラ、趣味別々、普段の打ち合わせはほぼチャット。
オフィシャルページもなければ、フェイスブックページもない。ましてやロゴなんてない。
それでも古民家をフックに2年間で約35のイベントを開催してきた。
コミサイってなに?
よく聞かれます。答えるのに30分間は要します。
例えばこんな感じってなかなかありませんでした。分かりやすく伝えたいけど伝わらない。なのでイベント参加していただければ分かりますよと声を掛ける。掛けた以上また次のイベントが必要になる。だがしかし無理はしない、自分から知らない土地へは行かない。
出会う運と縁。
それをちゃんと掴む握力が大事。この辺の話はまた後日。
ような何が言いたいか。
『コミサイって何?』
の答えです。
考えはまとまってきた。
コミサイってなんだかよく分からないけど即興性が気持ちよい。
これはライブだ。楽譜のないジャムセッションだ。
思いついたから文にしたためてみた。
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〈コミサイ〉セルフインタビュー※より
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『ただ楽しむことから始めるだけ』
コミサイ3人のイベント生トークは本番ぶっつけ音楽のジャムセッションライブのようだ。
3人で奏でる時もあれば、1人の独奏もあり、2人の掛け合いもある。
1人の話をじっくり聞いてそこに乗っかり、1人が自然とフェードアウト。休んでいる間に好きな楽器を選び取り、また進行中の曲にのっかて来る。音程がずれるような脱線トークもまた一興。
楽譜なんてものはなく会話のリズムとそしてバランス感覚で話は進む。
その生々しいトークに参加者もリズムを乗り出し、観客席から演奏者になる参加者も多い。
観客とのコール&レスポンスも重要になる参加型の音楽であると言える。
しかし、そこには「ステージや壇上に上がる」なんてそんな大きな壁も高さもない感じさせない。
その場には一環として自由さとゆるさの空気感を漂わせながらも、心地よい緊張感とお互いへの敬意と礼儀が保たれ流れているのも良い。
音楽のような会話の展開なので形には残らない。
しかし、今ここに参加した人々の心には残る。
「良くも悪くも終わってもなかなか帰らず、そこらで2,3人が固まってずっと話をしています」と語るコミサイメンバー。
これはライブの後の心地よい疲れと覚めぬ興奮、トークの余韻が長い証拠だろう。
過去には町歩きイベントなども開催しているようだ。
コミサイと歩く町歩き、町の見方が変わればなんでも面白そうだ。
筆者は思う。
彼らをあなたの街に呼んでみてはいかがだろうか?
コミサイからは、チームの作り方・イベント立ち上げ方・軽さ自由さ、そして何よりも楽しみ方のヒントが見つかるのではないだろうか。
ただ決して誤解してはいけない。
彼らが来たからって盛りがるわけではない。呼んだ土地の人間が「やるぞ」とちょっとでも動かないとそもそも何も盛りがらない。コミサイは風のような存在なのだから、良い土がなければ空っ風で終わる。
古民家をフックに外からの視点「風の人」として土地に根ざす「土の人」とともに「風土」の形成を試みるチーム
『コミサイ(信州古民家再生プロジェクト)』
コミサイは信州古民家再生プロジェクトの略ではあるが、筆者は勝手ながら『コミサイ(コミュニケーションの再生)』でもある気がするがどうだろうか。
あなたの目で耳で確かめて頂きたい。参加すればきっと分かる。
今後とも各地域とのジャムセッションの動きに注目したい、
石田 諒 (Ryo Ishida)
大越 要 (Kaname Okoshi)
宮下 広将 (Hiroyuki Miyashita)
以上の3人組である。
※実際誰からもインタビューは受けてません
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自分たちで自分たちをインタビュアーする。誰もこないので自分たちでやる。
キャスター、コメンテーターではなく、すぐにでも誰にでもなれるメディア露出。
言ったもん勝ちやったもん勝ち、好きにやればいいさ。
他人を誹謗中傷するくらいなら顔出して発言している勇気を持ちたい。
おみやど 宮下広将(ミヤシタヒロユキ)